まずはじめに、諦めると聞くとどんな印象をもたれるでしょうか?
やっぱりネガティブなイメージだよね。物事を途中で放り投げるのっていやだな~
まあ、一般的なイメージだとこんなものではないでしょうか。
昔のバスケットボール漫画の「スラムダンク」。その中に登場する人気キャラクター・安西先生がある試合を見守る中、劣勢中のチームにいた三井という生徒に対して、語りかけた名言があります。
「あきらめたら、そこで試合終了ですよ。」
まさに試合を放り投げようとしていた三井くんがこの言葉を聞き、再び闘志が燃え立つというシーンがあり、当時高校生だった私は非常に感動した事を覚えています。
たしかに感動シーンで、私も考えさせられる事がありましたが、あくまでもこういったものは漫画やドラマ、スポーツの試合内での話で、現実の生活の中では通用するものであるかは疑問です。
そこで今回は「あきらめる」という事について、じっくりと考えていきたいと思います。
こんな方にオススメ
- 努力をしているのに結果がついてこない。
- 昔からあきらめる事が嫌いだ。
- 今やっている努力は正しい努力なのか疑問を覚える。
“明らめる”が語源
そもそも「あきらめる」という言葉はどこからきているのでしょうか?
仏教用語でもある「明らめる」
「つまびらかにみる、聞く」にみられるように、「つまびらかにする」つまり、「明らかにする」が、本来の意味だそうです。
「明らかにする」。これは仏教用語でもあるのですが、物事を明らかにし、ものごとの道理をわきまえることによって、自分の願望が達成されない理由が明らかになり、納得して断念する。これが「あきらめる」の語源だと推測されます。
たしかに「手段・過程を明らかにし、納得して断念する」これだとポジティブな意味合いにもなりそうです。
このポジティブな「あきらめる」事に対して、自らの体験を活かし語られた著書である為末大さんの「諦める力」を紹介したいと思います。
諦める力より
諦める力をもつ
さて、この本の内容を簡単に解説したいと思います。
著者の為末さんは高校時代に陸上界で最も勝ちにくい100m走から自分にとって勝ちやすい400mハードルに転向しています。でもこれってもしかすると、
「えっ、100mあきらめたの?」「もったいない」といったような感想をもつ事もあるかと考えます。
たしかに100m走は陸上競技全体で考えても花形競技であり、これに勝つ事がスプリンターの夢かもしれません。ただ、為末さん本人からするとこのトラック競技の転向は、自分が最も執着する『勝利という目的』を達成するのに理にかなっていたのです。
つまり、「あくまでも勝ちにこだわる」という目的を諦める(捨てる)のではなく、その手段を諦めてもいいだよ、という事を綴っておられます。
目的を達成するには無数の選択肢が存在しており、その目的を達成するには何かを捨てる事を意味しています。為末さんにとっては100m走こそがその捨てる選択肢のひとつだったのでしょう。
ここまでをまとめると
目的のための手段 | 目的への手応え |
---|---|
100m走 | 勝てない。競技人口が多いので、別の競技にしよう。断念。 |
400mハードル | これなら勝てる!目的が達成できるかも! |
このような感じになると思われます。
今更やめられない
以上が「諦める力」の簡単な概要となるのですが、
でも、今までこだわりをもって頑張ってやってきたものを諦めるのって勇気いるよ~
たしかにごもっともだと思います。目的のために頑張っていれば頑張っているほどやめるのが難しくなりますし、そこにつぎ込んだお金が多ければ多いほど難しくなるのは容易に理解できそうです。
しかし、今まで頑張ってやってきたんだからそれを引き続き頑張り続け、さらにまた新しい何かをはじめようとすると、さらに引くに引けなくなりそうです。
目的を間違ってはいけない
このように目的のために努力をするのは大事ではありますが、一番重要な目的を間違えてしまうと無駄な努力に終わってしまうかもしれません。
例えば、為末さんのように競技(手段)にこだわるのではなく、勝ち(目的)にこだわりたいとします。そんな中、100m走(手段の一つ)で結果が出ない上に他の選手との才能の差を感じているにも関わらず、「どうしても100m走で結果を出さなければならない」といったようにあまりにも必死になりすぎて、本来の目的からブレてしまうという事ですね。
さらに他人の目を気にして
ここで逃げると負け犬のレッテル貼られそう・・・。競技もコロコロ変えて、陰口たたかれるのもな~・・・
このように負のスパイラルに陥ってしまってはさらに本来の目的からブレてしまいそうです。
だから人の評価に恐れるのは多少は仕方ないかもしれませんが、これに振り回されてはいけません。正直個人的には、目的のための手段はブレてもいいと考えていますが、本来の目的からブレてしまうのはNGと考えます。
目的を達成する事が「勝利」だとするなら、その目的の過程で敗北する事は本来の「敗北」ではありません。むしろ目的の過程での敗北は、目的の達成(最終的な勝利)のためには必要なものだと捉えた方がいいでしょう。
もし手段の段階で敗北したら次のチャレンジへ。トライ&エラーの繰り返し。 | ⇒ | 目的で勝利すればOK! |
無理なこだわりを捨てる
場合によっては目的のために色んな手段を試す事もあるでしょう。
例えば現在の職種に限界が感じたのでもっと収入のある業界に転職する目的のために、手段としてスキルを身につけようとします。選択肢として、一つは機械設計、もう一つは電気制御設計、他にはプログラマーなど様々な職種を考えていたとすると、とりあえずは一つ何かを決めてその道のスキルをマスターしようと努める事になると思います。なぜなら同時進行となると限りある時間の中では不可能ですからね。
この場合、何か一つを決めようとすると、他の選択肢は自動的に「諦める」事になりますね。そしてその道に挫折したらその道を諦め、次の道を歩む。
ここで本来の目的である「収入アップのための転職」を見失って、手段である「選択肢の職種をマスターする」事に心が囚われてしまい、目的が全くやりたくない方向に変わってしまう。という事はしばしばあるかもしれません。
もちろん引き際のタイミングは難しい事は十分理解できますが、いつまでも手段に執着しすぎる事なく、無意味なこだわりは捨て、自分の「本来の目的」のために諦める事も必要な技術である事を意識していただければ幸いです。
まとめ
最後にまとめです。
- あきらめるという言葉は仏教用語である「明らめる」からきており、これは物事の道理を明らかにするという意味である。
- 為末大さんの「諦める力」では目的と手段の違いを明らかにし、自身の体験談から諦める事も必要だとしている。
- 手段にこだわりすぎて、本来の目的から逸れてしまうのはNGである。
- 目的のために無意味なこだわりを捨て、不必要な努力をしないためにも「諦める」事は必要である。
以上です。
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